NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪

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あなたらしさを取り戻すために、人生に出来事を求めなさい。
    
             -マクスウェル

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NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-フラフラ


遅いスタートですが、フラをやる環境が整いましたので習い始めて数ヶ月。


すっごく、楽しい。
仲間も、いい。


何より、笑顔の日々が、いい。



NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪

平成22年1月19日に富士市立中央図書館で開催された

柳田邦男さんの講演会に行きました。


年配の方が多く、私の年代は三人ほどだったでしょうか。

子育てや仕事、家事に一番忙しい世代ですが、

だからこそ興味を持って聞きたい、

自分の知恵として聞きたい話だったと思います。


たとえばこんなことを話されました。

「他のために生きるのは簡単」

「え~そうくるの~・・・?」と正直思いました。


これは、病床に臥し、誰かの頼りを必要としなければ

生きられなくなった方のことを話された時にでてきた言葉です。


「何もできなくなって、迷惑をかけるだけの生きる屍。それでもなお生きるとはどういうことか。」


それに対し、

「今、あなたにできること。それは、あなたにしかできないこと。迷惑をかけてでも生きること。」

と。

これは励ましになったのでしょうか?その立場の方の気持ちを察することなど到底できません。

今の時点では私にとってひとつの気づきになりました。


さらに衝撃だったこと。

それは、ハンセン病文学全集の存在を教えていただいたことです。

はじめて知ったのです。


「精神性を失わずに生きぬいた人びと」が、

内面を見つめ磨き、苦しみ、憎悪を表現することで、

死といつでも隣り合わせにいる自分を支えてきた生の言葉です。


その本は、図書館のわりと目に留まる場所に静かに並んでいました。

気がつきませんでしたし、このような機会がなければ、読まなかった本だろうと思います。

ドキドキして重い表紙を開きましたが、まもなく閉じの繰り返し。

微かに呼吸は乱れ、休憩をとらないと、目が滲んで字が読めません。



・・・(前文略)

書くことはどれだけ支えになったかしれません。

ほんとうに助かりました。

 

 だけどそれも、助かった、支えられたというだけのことで、

やっとこの日を凌(しの)いでいるだけですから、とても笑ったりできるもんじゃありません。

 

 ほんとの笑いとか、おかしさというのは、目を失ってしまってから、いくらか出てきたんじゃないでしょうか。

この病者は、生きているうちに二度死ぬっていうんです。

一度はライになった時、二度目は失明した時です。その二度死んだあとで・・・・そんな気がします。

 

 あたしが書いたもので残っているのは、ほとんど全部といっていいくらい、目を失ってからのものでしょ。

まあ、随筆といっても、そんなりっぱなもんじゃあないんですけど、

それでも、人さまが読んで下さって、どうしてこんなにおかしいんだろう、悲しいことのはずなのに、

読んでて笑ってしまうことがあるって、よくそう言われるのです。

もちろん、おかしく書いているわけじゃないんですけど、

あたし、そう言われますとねえ、あたしもやっと盲人になり切れたのかなって、少しうれしいんです。

 

 目も見えなくなったということを、頭にも胸にもいっぱいつめてしまっている時には、

それどころの騒ぎじゃありませんもの。だいいち、文章を書こうなんて気はひとつも起こりゃしません。

 

 あれから二十五年もたったんですねえ。

 

 今になって、盲人の笑いというのが、本当にわかるような気がします。

あたしも、晴眼の時には、ほんとうの笑いというのがわからなかったと思います。

ほんとうに真実死に切って、はじめて笑えました。自分をほんとうに殺してしまって、

それまでの自分はほんとうに捨て切ってしまえなかったら、笑えません。

 

 なんてますか、人間というものはうぬぼれが強いもんですからねえ。

それぞれの状態でそれぞれの虚栄があるのですよ。

それですから、自分の状態が、目が見えなくなるというようなことで変わりますと、

目が見えてたことで持っていたものを、捨てにゃならんのです。

ならんのですけど、それがなかなかむずかしいのです。

 

 それにあたしの場合は、時間がかかってちっとずつ盲人になったんなら、

ちっとずつ諦めるということができたのかもしれませんけど、ほんとうに急だったもので・・・・。

もう、いっぺんに落ち込んでしまって・・・・そこで死に切ることがむつかしゅうございました。

 

 死に切るというのは、まあ、言ってしまえば、苦しさであれ、悲しさであれ、

徹底してひきうけるってことですからねえ。

逃げ切れるものなら逃げますけれども、もう、どっちむいたってどうせ苦労なんですもの、

同じ苦労なら、いやいややったってしかたがないんです。

それまでを、すっかり捨て切ってしまって、いっそおもしろくやってやろうと・・・・

そうでなければ、グチだけが残るだけになります。

だけど、捨て切るっていうのは、なかなかのことじゃありません。

 

 あら、あたし、ずいぶんおこがましいことを言ってますねえ。

だけど、これだけ日にちが経ってからだんだん考えられてくるんですよ。

今だから、この歳になってから言えるようになったんですよ。

ごめんなさいまし。

 

 闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねえ。

なにがどんなにつらかろうと、それをきっちりひきうけて、こちらから出かけて行かなきゃいけません。

光ってものをさがすんじゃない、自分が光になろうとすることなんです。


(地面の底がぬけたんです 藤本とし 著より一部引用)





NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-海


先覚・・・・①人より先に物事の道理や移り変わる先を見抜いた人。

      ②学問・見識のある先輩。

先駆・・・・①行列の先導。

      ②人に一歩先んじてすること。さきがけ。



人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、


長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。


名誉も報酬ももとめない、まことにおくゆかしいその行いは、


いつか必ず、見るもたしかなあかしを、地上にしるし、


のちの世の人びとにあまねく恵をほどこすもの。


(木を植えた男/ジャン・ジオノ 原作 寺岡嚢 訳)




大淵水源開発顕彰碑

私達大淵地区住民は昔から雨水を生活用水に使用してきました

随って水源を探して生活を改善したいと云う事が住民の悲願でした

この住民の苦境を黙視出来ず水資源の開発に挑んだ先覚者が杉山元次郎氏と小笠原実男氏の二人でした

---(略)---

昭和二十四年一月小笠原氏は金六十万円の巨費を投じて削井の卓越した技術と経験のある杉山氏を信じて水源の掘削を依頼しました

この発掘工事は七十米に及ぶ不透岩盤の層に突き当たり岩盤との苦しい闘いでした

其れにも負けず同年十二月十七日深度百米の地層に達し水源を発見する事に成功しました

---(略)---

此の地の水源開発は現在富士地区水資源開発の基礎となりました

此れは正に杉山氏の優れた技術と信念及び小笠原氏の不屈洞察力と開拓魂との結晶でした

茲に両氏が地域に尽くした功績を讃へ永遠に後世に伝える為にこの碑を建立します

富士市水道部長 鈴木一彦 撰



祖父没後50年。

初めてこの碑の前に立つ。


風の音が遠くなる。


遅すぎた邂逅。


畏敬の思い。


曲がらない膝をそのままに垂らし

自転車を二拍子で漕ぐ音が遠くから近づいてくる。

錆色の影と微笑む気配。


鳥達も虫達も風も水も動かない。

そこにある百合のように。


顕彰碑の傍らに掘削の痕跡がある。


大きな配管がナットで幾つも接合され、地面から這い上がって

バルブが力強い握り手の形をして、天に向かって赤く赤く咲いていた。








NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-無題


内部のヴィジョンの登場。

 突然、だが、先駆者としての一つのことば、伝令としての一つのことば、


人間に先んじて地震を感じる猿のように、


行為に先んじて警報を受けとる私の言語中枢から、発せられた一つのことば、

《眩しく目をくらませる》ということばにすぐ続いて、

弾道のような何本もの長いナイフ

眩しく輝く何本ものナイフが、空虚の中を、すばやく耕す。

突然、一本のナイフが、突然千のナイフが、稲妻を嵌(は)めこみ光線を閃かせた千の大鎌、

いくつかの森を一気に全部刈り取れるほどに巨大な大鎌が、

恐ろしい勢いで、驚くべきスピードで、空間を上から下まで切断しに飛び込んでくる。

激しく引き裂かれる殉教者。

わたしは内心ひそかに苦悩しながら、

滅茶苦茶に引き裂かれる苦悩。それはあたかも、自分の中で、いくつもの細胞が、その弾性の限界に達するまで、その恐ろしい加速度に自分を合わせてついていくことを、強いられているような苦しみだ。(細胞自身の痙攣そのものが加速度の原因でないとしたら)

それらのナイフや大鎌と同じ速度の耐え難いスピードに自分を合わせ、

ますます激しくバラバラに裂け、解体し、狂気へと陥ってゆきながら、

ある時はそれらのナイフや大鎌と同じく途方もない高さにまで、

それから忽ち、すぐ次の瞬間には、

それらと同じく深海の深さまで、ついてゆくことを強いられる・・・・・・それにしても、一体これはいつ終わりになるのだろうか・・・・・・それがいつかは終わりになるとして?


 終わった。遂に終わった。


(アンリ・ミショー全集Ⅳ みじめな奇蹟Ⅱメスカリンとともに /小海永二訳より)

作家 太宰治さんその奥様津島美知子さんのお墓。
NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-dazai

恥ずかしいので、少しニヤけていましたが、

厳粛な面持ちで太宰治のお墓を探し当て、

太宰治生誕100年という節目の年に新朗読をやらせていただきますと、

まずは、ご挨拶と、ご報告をし、ちゃっかりとではありますが、公演成功もお願いしました。

どうぞお導き頂きますようお願い申し上げます。



「はじめまして、津島修治様。

必要が無ければこのようなことも無かったと思いますが、

こうして何かのご縁でお墓に参りました。


普通の人と、なんら変わりなく、

あなたさまの”生み出したいくつかのもの”を読んでいます一読者です。


お煙草の吸殻が散らかっていますね・・・すこし拾っていきましょうね。


ワンカップはファンの方が持ってきてくれたんでしょうね。

良かったですね。おいしかったですか?


お酒はいいですよね・・・


あなたさまのように、自分を見つめては、風景を見ては、いつも何かをお考えになって、

えらくなれるかしら、卑屈、絶望、愛という単一神、芸術は私である、書かなければロマンスを、

聖諦、汝隣人を愛するが如く・・・

はたまた、家庭も守んなきゃいけないし・・・といって上っ面でなく、

身を削り、身を削り、継ぎ足して、又削り、

下がったり上ってこられた方には、

頭を休めることができる唯一の楽しみだったでしょうね。


お花が枯れていますねー。

でも、私が捨てるわけにもいかないから、

そのままで、かわりにもう少しだけゴミみたいなものをつまんでいきましょう。


お墓の石・・・とても風合いが出ていますね。

お名前の字ととても合っていてとてもいいですよ。


なんだかお墓に少し手を当てたくなりました。失礼します。

はて・・・温かいですねー。なんででしょう。冬の寒い日に。

しっとりしています。わたしもこんな石がいいですよ。


いろいろ大変でしたが、いまは少し落ち着けていますか?

多くの月日が経ちましたね。

私ごときの言葉ではありませんが・・・。それが願いです。


お隣の奥様にもご挨拶をさせてください。


はじめまして、美知子様。


目の前の木瓜の花は何色ですか?

赤も白も好きですし、ピンクは二番目くらいに好きですが、

花の無い時のトゲは痛々しいですね。

お顔に向けて顕わにならないようにお花でも。


旦那様はお酒ですけど、

奥様は・・・お茶などいかがでしょうか。

金木の家の敷地内から滾々と豊かにあふれ出ていた水で、

食後のお茶を、誰にも気兼ねなく飲みたいですね~。

それとも、もう飲まれましたか?それならよかった。


倹しい戦時下、お腹に赤ちゃんがいて、でもって一人の子の手を引いて、

お米の配給の列にならんで、

金木まで疎開する時も、深浦で夫の気持ち(酒!)を汲んで、一泊した時も、

子どもの手を引いてかなり歩いて、

金の卵を抱く夫のために、頭をつかうからと、タンパク源をゲットするために

東奔西走し、

良質のものを見極める審美眼をもつあなたは、

夫のお召しにも気をくばり、頼るものはうまく頼り、贈進もちゃんとして、

しっかりと家の切り盛りをされていましたね。とても大変だったと思います。


でも、芒の穂は埃とりにはならないでしょうね(笑)

とはいっても、やりたくなりますね。私も今度やってみようかな・・・詩人の仲間入り(笑)


納税もね~自分でやって欲しいですよねー。

千代田区まで三鷹からどれくらいかかるかな?

電車乗っている間、「おしっこ」ってお嬢さん言わなかったですか?

乳飲み子のおしめは何処で?

国税でお乳を含ませたって。十分満たされたでしょうか・・・

顕わに督促若しくはそれに関わる申告の場にいるのは本当にいやですよね。

私もおなじ経験があります。いいえ!もちろん代理でです。

いやな汗が出ますよねー。


ジャバ汁はね、私初めて知りました。ワカオイのおむすびも。

旦那様自ら解剖の鶏鍋はどんなお味でしたか?

でも、最初は奥様なんでしょ?毛を毟るとこ・・・首ひねるのは”お酒飲んでちょっと神経を麻痺させた旦那様”ですけどね(笑)味つけは塩だけですか?


・・・なんだか永く居座ってしまいました。

スカートの下から冷たい足が二本出ていました。

踏み出した一歩が鈍くて倒れそうです。


ひらめきました。

奥様も一緒に舞台にいらっしゃいませんか?

いたずらに生活のお話などいたしません。


あなただからこそ、太宰の世界はあったのです。


では失礼します。」


NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-太宰

森鴎外のお墓にお辞儀をして、まだいろいろお話ししたかったのですがきれいな墓地を後にしました。


NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-水



塩の人形が、陸地を何マイルも何マイルも旅をし、

ついに海にに辿り着きました。


人形は、今まで見たことがあるどんなものにも似ていない

この奇妙な動く広がりに心奪われました。


「あなたはだれですか?」塩の人形は海に尋ねました。


海はほほえみながら答えました。「なかに入って、確かめてごらんなさい。」


そこで人形は海に飛び込みました。


海のなかに入って行けば行くほど、人形は溶け、

ついにほんのわずかしか形がなくなりました。


最後の形が溶ける前に、

人形は感嘆して叫びました。


「いまこそ私は、私が誰なのかわかったわ!」


( 小鳥の歌/デ・メロ著の中から)



辿り着けたけど溶けてしまった。

でも無くなる寸前で求めていたものが得られた!!


やっていこう。


励ましと勇気の小作品です。





NO PAIN NO GAIN!だけど楽しく♪-窓


毎週火曜日、私の元を訪れてくれる人がいる。


その人のことを、待ちわびているわけではないけれど、


その人は、他者に幸福をもたらすつもりで、寒い冬の日、コートにくるまってやってくる。


「終末の時を、義のある人ととして永らえられるように」と言うその人を、

ひとまず受け入れた。その言葉に共感し救いを請うためではない。

その人が誰かのために動いているから。


たとえ自分には必要なものではなくとも、

よけいなお世話でも、

忙しくても、

他に耳を向けられる今の自分に感謝。

少し前では考えられない自分の変化。


どうして自分は変化したか。


その人が読み上げるストーリーではなかった。

周囲の人、自然、に私が目を向けて見つめてきたから。




こどものすること

下のこどもが落書きしました。

大人たちが築き上げてきたものがいっぺんで変わってしまうようです。


けさ、あさごはんのあと、

子どもたちと

「こどものせかい」第一集 宮城マリ子監修 テレビ東京・編

をよみました。


思わず笑いがこみ上げたもの・・・



ちゅう


せんせいのおよめさんは


せんせいがいえにかえると


ちゅうをしますか


ぼくのいえはしません


おかあさんがぼくに


「おとうさんがかえってきたら


ちゅうをしてあげたほうがいいか」


とききました


ぼくは


「してあげたほうがいい」といいました


つかれがいっぺんにとけるとおもいます

                    (小1)






優しさ、溢れるというよりも、底なしの澄んだ小さな静かなお池のような・・・



かなしい目



ぼくの おかあさん そらを見て


なみだをだして ないていた


ぼく みていた


なかなくても


かなしいことは ぼくにいってね


ぼく思った


ぼく いるのに


かなしいのかな と 思った


でも かなしいときは かなしいもんね


ぼくがいても かなしいもんね

                

                ごめんね


(オープンスクールねむの木学園二年)


こどものころ、宮城マリ子さんが朗読をしていた番組を見るのが好きでした。

ホッとしました。

みんなのおかあさんという感じでした。

がんばっている、こどもたちのおかあさんという感じでした。




♪音楽を配信中のアーティストを探してみよう



野花
雨の季節を迎える前に、


たわわに実った梅を子供たちと採りました。


木登りができるくらいの木になったんだね~。


脚立に上って、おまけにおへそも出しました。


灰色のそらに伸びる青梅を掴んだかわいい手。


足下の籠にその実を放る。


「ママ!梅がまごまご言ってるね」


ホントだね!


そう聞こえたんだね。


素晴らしい音世界だね。


ママはその世界を

知っていたようで、知らなかったみたいです。








aroma

「アロマテラピーを母に施してみたいのですが・・・」

入院が始まってからわりと早い時期から私は主治医に相談した。


脳疾患だからといって、

脳の血流をよくする精油を使えばいいというものではない。

ローズマリーは血圧へのの影響があるので、脳圧のことを考えると使えない。


意識レベルが普通でなく、てんかん様の痙攣を起こす。

意識を鮮明にさせ、神経系を刺激し、古く昔から中国では癲癇のための精油として使われていたバジルはどうか?

けれど脳はあまたのホルモンが分泌され、また多臓器と連携して指令を出しているところ。

精油は内分泌にも大きく影響する。

脳炎の原因がウイルス性ではなく、自己免疫系だったらどうする?


途中カリニ肺炎を併発した。レアもいいところ。。。

自己免疫がボロボロ。。。

プレドニンのパルス、感染の憎悪

肺には木系。けれど、コーチゾン様の働きがあり薬との兼ね合いもあるのでなんとなく選べない。


精油がいいといわれるものの、やはりメディカルに追求すればするほど、

科学的な答えが欲しくなる。


けれど香りが体と密接な精神を癒すことは明白。

心身相関。


寝たきりの体を他動的に運動を与えることによって、

機能の低下も防ぎたい。


この手で救いたい。

なにもしないではいられない。

家族の手が施すオイルマッサージには大きな力があるはず。


こうなると、ケアーではなくキュアー。

精油の使用はバジルを主に足、手、胸元へのセラピーを交互に毎晩施した。


あまり強くしない、思いを込めない、さりげなく付き添いたい。

余計なことだと思われたくない。照れ隠し・・・

でもそんなの関係なくなるところまで行き着いたとき、

同じベッドに母と寝て「怖くないよ」と呟いた。


今、回復した母はその当時の記憶が何もない。

はずだったのだけど、

「そういえば、私にマッサージしてくれてたけど、あれ、体が楽になってね・・・」